4月のマンスリー ゲスト 平野 隆章さん

インタビューを終えて:

昨年5月のこと、旅先の長野で不意に平野さんのお人柄に触れる出来事があった。
宿泊先のゲストハウスに併設された 蔵を改装した小さなシアター。以前そこで
映画「発酵する民」の上映会が開催されたこと、鎌倉からきた私たち家族にオーナーが朗らかに語ってくださった。 上映会と舞台挨拶に先立ち、平野さんが町の方々、要所に 丁寧に 事前の挨拶や案内をされていたという。「そんな監督は今までいなかった。」とオーナーの方は印象深げで、私たちまで誇らしく。平野さんのことは映画監督としてはもちろんのこと、いくつかの繋がりから存じあげていたけれど、鎌倉から離れた土地で改めて「出会った」ような不思議でありがたい感覚。


「発酵する民」はイマジン盆踊り部との出会いなくしては生まれなかった映画といえるが、その始まりの始まりは、2011年当時平野さんの職場、東京のメディアの事務所に舞い込んだ一枚の手書きのファックスだったという。鎌倉での脱原発パレードの案内。一見風変わり、そこにも何か感じ取った平野監督が鎌倉で目にしたのは、東京で行われているパレードとは一線を画すもの。平和への思いが共通にありつつも、表現はある意味「バラバラ」。その後立ち上がるイマジン盆踊り部の結成当初、数名の小さな輪だった頃から約7年間、丁寧にその軌跡と発酵していく様を追っている。


「自分とは違う」ひと、考え方やありように対するまっすぐな興味。それは映画好きな青年が スクリーンに映る これまでは知ることのなかった多様な存在に心動いた瞬間から変わらず 今も平野監督の中心にあるように思える。


自分の言いたいことを表現、発信するためにつくり込むのではなく、その場に存在するひとを見つめ、関係性を築き、自ずと醸し出されるものを映す。
「発酵する民」もそんな平野監督の姿勢があってのドキュメンタリー映画と感じる。


登場する おひとりおひとりの純度の高い言葉、人間以外の生命の代弁者のメッセージ、ユーモアと飾らない振る舞いが自然と心を動かす。
平野監督との関係性や出演者へのリスペクトなくしては、映し出されることがなかった表情も多いのではないかな。そして、そんなリスペクトは人間以外の存在にも注がれている。発酵、微生物、地球歴、宇宙。土着的なものからアーティステック、フューチャリステックな世界観、ミクロとマクロ、ハレとケ。映像と音楽にのり、異なるものが交差しやさしく美しく溶け合うよう。


映画「発酵する民」は日本全国の劇場上映に加えて、自主上映、そして国境を超える可能性も。

盆踊りがつなぎ、この映画が醸し出すものは、コロナ禍を経て さらに普遍性を持って響き、ますます広がっていくのではないかな。さあ、いったいどこまで。これからも追っていきたいです。

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